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逆カルチャーショック

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甲斐 睦興 M.D.

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Vol.1   心のエネルギーDR.KaiVol.1.html
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Vol.3   悲しい親子DR.KaiVol.3.html


イギリスに行った時、先ず驚いたのはヒースロー空港からロンドンに行く途中、道路工事をしている人達がジャケットを着て長ズボンをはき、革靴を履いていることだった。あとは、煉瓦立ての家、綺麗な若い女性たちが気にいった。フランスでは乞食もフランス語を喋ると聞いていたから、英語には驚かないつもりであったが、英語を聞いていると偉い人が話しているような気がした。これは今でもそうである。また、英語は物事を的確に話すと思えた。このようなことが、私のカルチャーショックだったと思う。

 飛び出して来た日本がなつかしくなったし、自分は日本人であるといつも見られていた。日本を紹介する本には、フジヤマ、人力車、芸者の事しかなかった。日本がどこにあるかも知らなかった。

 イギリスを中心にした世界地図では、日本は片隅に小さく載っている、日本人に出会ったことはないと言う人達ばかりだった。私の心の中では愛国心が湧いた。イギリス国籍をとらないか、という通知がきても、あまり有り難みを感じなかった。

 アメリカに成る可く長く居たいという気持ちには変わりが無かった。今から思うと何故だか良く判らない。

アメリカで精神科を始める時も、アメリカ人だって同じような人間だから、助けられるだろう、、くらいにしか考えなかったし、自分は外も内も日本人だということは同じであった。それが、ハワイに32年前に着いてから現在に至り、今では頭の中がアメリカ人的になっていることに気がついた。これが私の逆カルチャーショックである。


主な例について書くとする。

1.大勢の日系人の親子関係が明治時代の様である。長男は独身で将来親が介助を必要とするとき、面倒を見る。その代わり親の全財産を相続する。弟姉妹も賛成した。ところが何十年も経って弟姉妹が文句を言い出したので、家族が私のところに来た。こんなケースが続けざまに2、3回も続くと、第二次大戦前の日本の田舎を見ているような気になった。


2.病院のおばあさんのところに行くと、成人した独身の子供二人が待っていた。一人はホノルルに住む娘で、もう一人はメインランドから駆けつけてきた息子であった。娘は夜は母のベッドの下に寝て、朝は仕事に出かけ夕方戻ってくる。息子は夜は母の家で寝て、日中は一日中母のそばに付き添っているそうであった。このようなことは例外ではなかった。ナーシングホームでは仕事の帰りに毎夕戻ってくる娘達がいた。メインランドの白人社会では年寄りが手や足を冷たくして一人でベッドに横たわっているだけであった。そんなアメリカの個人主義に慣れていたので、ハワイの親子関係に驚いた次第である。


3.母親が成人した(中年の)独身の子供達と一緒に仲良く暮らしていることは多い。子供達の中には離婚した人も居る。


4.日系人は私に診察費をよく払ってくれた。請求しないと請求の催促が本人や家族からくる。メインランドでは必要だった借金取り立て業者が不要であった。業者に頼んでも払わない白人は払わなかったことが多かった。一年以上も古い請求だと、業者に、取り立ててもらったお金の50%も払った。それでもただよりはずっと良い。


5.アメリカ人はよその国から子供を養子にする。以前は韓国からで、子供が不能者(かたわ)でもどうでもよく、何でもいいから子供が欲しいという夫婦が多かった。自分たちに子供たちが2、3人いても養子縁組をする。タヒチの地震のときには大勢の孤児達がアメリカの養親に引き取られた。フォード元大統領やナンシー•レーガン(元大統領夫人)も養子であった。最近のニュースではマケイン大統領候補夫妻はアフリカから養子をもらった。もう少し最近ではジェニファー•ロペスがアフリカから養子縁組をしている。最近の新聞では、ハリソン•フォードは独身のときに養子を迎え、今は結婚して血のつながった子供達もいるそうだ。このようなことは日本でもハワイの日系人の間では理解されにくい。無理である。自分たちの血がつながっていることが絶対条件であるように見える。


6.今日の友は明日の敵。日本人はその反対である。連合国占領軍指揮官マカーサーは敗戦国日本の慈父になった。米国は日本の第一の友達になった。日本の防衛をしているから父親の様である。日本人の気持ちが終戦と同時に反転した。驚くべき転身である。

私さえでも、まだ驚いている。

ハワイに来てから日本人をもっと理解しようと思い、ルースベネディクトの「菊と刀」を読んでみた。それによると、負け戦にあった日本の兵隊たちがアメリカ軍に投降し、アメリカ軍を助けたと言うのだ。日本兵たちは、どこに弾薬庫があり、日本軍の陣地には何人の兵隊が守備しているか、全部喋った。したがって、アメリカ軍は日本軍を簡単に掃討することが出来た。何故、捕虜となった日本兵が友軍を裏切ったか?彼らは捕虜となって日本軍でも日本人でもなくなった。恥ずかしい限りであった。恥ずかしい心の通りに行動することはアメリカ軍を助けることであった。日本の文化は恥の文化であった。しかも友軍の敵になり、アメリカ軍の友になることに矛盾を感じなかった。日本人全員もそのような矛盾を感じないのかもしれない。

恥をかかせられた主君の無念をはらすため、家臣が相手の首 をあげたという赤穂四十七士の物語は有名である。ハワイに来てから私は三つの違った四十七士TVシリーズを見た。日本人の胸に響くものがあるに違いない。

 我々日本人は二度の原爆で即死者21万人が出てもアメリカを批判しない。世界平和を望むだけである。ところが、ハワイの新聞はつい最近まで12月7日になると日本の真珠湾攻撃を批判した。第二次大戦後60年間ぐらい恨み続けたのである。12月7日には日本からの日本人は肩身の狭い思いがした。戦艦アリゾナには1900名の米国将兵がいまだに眠っていることを思えば、米国民の怒りも当然だと思えるし、原爆のことを持ち出す気は全くない。私にとって日米の違いが余りにも大きく、この点に関しては、私は日本人の心持であった。それにしても、上述の日本兵捕虜の心情は、日本人の本心なのかもしれない。


7.もうひとつ書いてみる。

それは日本人が自然を愛し、自然とともに生活し、四季の移り変わりを喜ぶことである。俳句にも季語を入れなければいけないという規則があるそうで、それを知ってからは、俳句を作る意欲がなくなった。季語があるかどうか知らないが、松尾芭蕉の3句を書いてみる。

古池や 蛙(かわず)とびこむ 水の音

名月や 池をまわりて 夜もすがら

さみだれ(五月雨)を 集めて流る(ながる) 最上川(もがみがわ)

日本人なら誰でも知っていて、共感できる。元来の日本の家屋は障子一枚、すなわち紙一枚で外界を隔てるだけであった。縁側から庭に下り、土を踏む。今や、我々の多くは土や植物から離れた生活をしている。自然と共に生き、自然に生かされているという日本の本や雑誌を見るたびに、アメリカに生活している我々には考えられないことだと思う。アメリカ人の関心事は「人」である。男女のリレーションシップこそ我々の頭の中にいつもある。米国精神科を学び、特にフロイトの人間の情緒に関する仮説は私の頭にこびりついている。この聖ルカクリニック心療内科でも人間関係が特に重要視されている。

ハワイに来て初めて日本人の自然観にぶつかった様な気がする。

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